当院のご利用者様、ご家族の体験談を「聞き書き」という手法を用いてご紹介します。
​第1回は、アルツハイマー病の奥様を18年介護されている方の体験談です。

【現在の生活について】

 妻がアルツハイマー型認知症を発症して18年です。私が52歳のとき発症して、その後56歳で早期退職して、介護するようになって13年半かな、まったく大変になってから10年というところです。

 今の1日の生活は、6時に起きて朝食つくって、野菜たっぷりの味噌汁とか、洗濯して、7時半に妻を起こすけど、その前に顔とか体とかマッサージをして、ポータブルに座らせたりして、8時ぐらいからだいたい40分ぐらいかけて朝食たべさせて、調子よかったら一緒に自分もたべるし、悪かったらあとで私は食べてます。食事のあと、歯磨き、ポータブルに座らせて・・・トイレは2時間おきに座らせてますよ。オムツでいいという人もいるけど、座らせる方が楽ですからね。あとは週に3回、ディサービスがある日は9時半から10時ごろ送っていくし、行かないときは寝かせて、その間に洗濯物干したり、庭仕事したり、短歌みたいなのをつくったり、買い物にいったりしています。お昼は、買ってきた簡単なもの食べてます。そんなにたくさん食べる必要ないしね。ゼリーとかお菓子とかね。

 昼食後に私は毎日60分から90分散歩します。妻の体調みながらですね。それが楽しみです。それまで整体とかいろいろ行っていたけど肩や腰の痛みがなかなかとれなくて、散歩が一番いいです。散歩するようになってから楽になりました。そのあとシャワーあびて、時間があったらまた夕食の買い物に行きます。買い物は午前と夕方と2回、気分転換にね。散歩もそうだけど、人と話さなくてもすれ違うだけでもいい、やっぱり介護は孤独だから人と触れ合いたいんですよ。話さなくても買い物に行ってちょっと挨拶したり、すれ違うだけでも気持ちが違います。16時半頃からお酒を一杯やるのが一番の楽しみというかご褒美ですね。17時半ぐらいからは、妻にも食べさせながらですね。9時半頃寝せたいんですけど、なかなか最近寝ないんですよ。寝かせるときは酔っ払ってますよ(笑)ほんとは少しにしたいのですが、それが楽しみだからね。

 70歳になったらやはりきついですよ。ポータブルトイレに座られるのが一番大変かな、パンツとかおろしたりする間、抱えとかんといかんからですね。だいたいおしめがいいとみんな言うけど、座らせて抱えたほうが早いし、まぁ大変じゃありますけどね。

 

【これまでのこと】

 熊本地震の前は妻はまだあるいてて、歩けていたときは立田山を歩いて、あそこが歩けなくなってから運動公園を歩いていましたね。ディに行く前に1時間ぐらい散歩にしてました。そうすると落ち着いていましたね。朝から散歩して、シャワーあびて、ご飯食べてからディにも行くから、ディのスタッフさんたちからも安定してるといわれてましたね。

 私が60歳になって急変というか、進行してね、一番大変でした。妄想がでたり、熱がでたり血圧がすごくあがったり、興奮したりして3回ぐらい救急車を呼んだこともありました。結局、抱きしめるしかないとわかってもう救急車はよばなくなりました。「大丈夫、大丈夫」といいながら抱きしめて落ち着くのを待つしかなかったんですよ。それ以外に妻を助ける方法はなかった。この時期本当に大変で、それで家族の会にもいくようになりました。

 妻がアルツハイマーと診断されて以来、私は睡眠薬がないと眠れなくなりましたね。私はほんと寝てないですね。もうそれが習慣になっていて3時間程度しか眠れなくて、いつもラジオ聞いてます。私は小心者なんですよ。妻の体調とかちょっと気になることがあるとますます眠れなくなりますよ。

 

【介護に対するわたしの信条】

 介護は孤独ですね。だから、いろいろな人に話すことが自分のがんばりになりますね。でも介護してなくても何もしてなくて孤独な人もいるし、自分はまだやれることあるし、社会に役に立つことしてると言い聞かせてますね。私だけが特別じゃなく、介護してていちばん大事なことは人と比べないことです。

人に見せるのがいやではなかったのでサービスを使うのに抵抗はなかったですけど、やれることは自分でやりたい。私の性格ですね。周囲の人がどんどん在宅で介護するのをやめていくのをみると、預けたほうがいいのかなと思うこともありましたね。でもできるだけのことはしたいんですよ。

 在宅介護は、半年先を考えることが大事ですね。本を読んで勉強したり、人の話を聞いたりして、病気の進行をみこしていろいろな準備をしてきました。お風呂の改修、車の改造、車から家に入る動線とか、とにかくできる方法を考えて準備しました。そういう物理的な準備をしながら、精神的な準備もしていきました。

 過去におきたさまざまな辛い出来事にも、辛いことを経験したことで育てられたと感謝するようになりました。そういう苦労したおかげで今がある。今こうして介護している自分がいると思っています。働いているときは自分のことしか考えとらんかったけど、介護をすることで感謝するようになったんですよ。介護のおかけですよね。私は以前は言いたいことなんでもいう人間で、みんなから怖かったといわれてましたよ。介護をするようになってから禅、仏教、キリスト教、とかいろいろ勉強しました。結局、共通しているんですよね。欲を捨てることですよ。人と比べたり慢心しないこととかですね。

 私の信条として子どもたちには手伝わせないということです。多少無理をしても子どもたちには心配させたくないんですよ。自分たちも親にはたいしたことなにもしてないから、家内のことは自分が負わなければと思っています。親を介護して、結果的に嫌になったりするのを見聞きすると、そういう思いを子どもにさせたくないかなと。子供たちには弱音を吐かないから、こどもたちは私は何でもできると思っていると思います。

 私も親孝行してないのに、自分だけしてくれというのはね。そこまでかたくなにならなくてもいいかもしれないけどですね。私が仕事辞めて妻をみるようにしたのは、夫婦の大事さとか、ただただもくもくと介護をする姿をみせたいと思っているんですよ。孫たちも大学生などになってるけど、私達を大事にしてくれるんですよ。「夫婦とはなにか、夫婦の大切さ、きずな」みたいなものは子どもたちにも、孫たちにも残ればと思っています。私達の生き様から学んでほしいと思っていますね。

 

【私の夢】

 悔いはないです。思い残すことはないぐらいやったと思っています。だから胃瘻とかはせずに自然にいかせたいと思っています。私が飲んでいてその横で気がついたらというのが理想ですね。自分たちの親とか家族は家で亡くなって、やすらかに亡くなったのをみてるからですね。今は病院とか入るとコロナで会えないし、自然の営みに任せたほうがいいかなと思っています。

 家内はきっと私が病気せんように、子どもたちが幸せに暮らせるようにみんなの分を背負ってくれているとのだと思っているんですよ。だから私も少し背負って行こうと思っています。家内が背負って頑張っているから私も頑張らないとと思っています。

ずっと気持ちというか言葉をノートに書きためていますよ。

(一部抜粋)

『あじさいが枯れるが如く病んでゆく 妻への想い赤心の詩』H24.9.1

『「大丈夫」「うん」と応える妻の目に涙ひとつぶ私も泣いた』H24.

『「おとうさん」聞こえたような妻の声 ただただうれし勘違いでも』H24..12.25

『カシワバは天に向かって凛として 妻が愛したアジサイの花』H29.5.13

『もうダメとため息ついて大空へ 息吹きかける 正月八日』H31.1.8

『セピア色「果断」と書きし父の筆 見つめて聞こゆ 今を生きろと』H31.3.15

『妻を看て十年今日の繰り返し それが何だと散りゆく桜』H31.4.10

『介護者はたった2つの言葉だけ「ごめんごめん」と「ありがとサンキュー」』R2.1.23

『寄り添いし吾に褒美をくれるなら 声がききたい おまえの声を』R3.4.18